Sia-Chandelier

 更新が滞ってしまっている。書く力が落ちている。一記事が長くなってしまうため、書くのにものすごく時間とエネルギーを使ってしまうので息切れしている。ブログとしては5000~8000字は長すぎるのは分かっているので、書くのが慣れてくればそのうち短くなるかと思うんだけど。なんとかもうちょっと続けたい。

 最近SiaのChandelierをよく聞いている

youtu.be

 

 ちょっとばかし古いけど、いい曲だ。歌詞の主人公は苦しみから逃れるように自暴自棄に享楽的になったり酒におぼれたりするわけだけど、それはただ今日のこの一夜を生きるため。今一瞬を生きるため。朝が来れば後悔することは分かっているけど、瞬間瞬間をつなげて何とか生きていこうとしている。

 ごまかしでもいいから何とか今をしのいで、今夜一晩生き抜いて、明日一日やり過ごして。そうやっていつ落ちてもおかしくないシャンデリアからのぶら下がりならぬ、綱渡りのようにして生きている人たち。

 今、今夜、この瞬間をそうやって生きてる人がいるだろう。子どもにも、大人にも。遠くにも、近くにも。

 そして、かつての私もそうだった。

うつを抱えて生きるということは死なない一日を積み重ねること

 この上の曲のサビの部分の歌詞とメロディ、そしてボーカルの高揚感は、自分が酒を飲み始めて止まらなくて気持ちがよくなってるときの高揚感と本当に重なる。

I'm gonna swing from the chandelier
From the chandelier
I'm gonna live like tomorrow doesn't exist
Like it doesn't exist
I'm gonna fly like a bird through the night
Feel my tears as they dry
I'm gonna swing from the chandelier
From the chandelier

明日襲ってくる後悔は分かり切っているけど、そんなことより、今、この高揚感に浸っていたい。私はやけ酒はしたことがないけれど、もし激うつの時に飲酒していたら、私はぶら下がったシャンデリアから手を離したかもしれない。あえて飛んだかもしれない。そうなってもいいと半分思っていたかもしれない。。。

 ADHDの診断が正式に降りる前から、心理士さんは私にADHD的特性があるだろうと思っていたと思う。困りごとに対するアドバイスはそれっぽかったし、喫煙や飲酒や買い物の程度に関して話が及んだときは少し突っ込んで話を聞いてくるような感じがあった。ADHDは依存症を併発しがちというのはどっかで聞いた気がする。

 私は20年来のヘビースモーカーだったが、数年前、うつ治療の途中で急に思い立って主治医に相談もせず禁煙外来でチャンピックスで禁煙治療した。いや、喫煙はうつによくないって色々なところに書いてあるし、かかった内科の先生も薬剤師さんも、抗うつ薬と併用問題ないって言ったから。。。(今思えばADHD的衝動性&言い訳)

 結局うつが悪化して主治医には怒られた。「チャンピックスはうつ治療中の人には慎重投与ってなってるから!ダメじゃん!せめてニコチンパッチでしょ!」みたいな。結局チャンピックス服薬も完走できなかったのだが、その時の禁煙が今も続いており、つまり一見禁煙成功かのようになって今に至っている。しかし、私は自信を持って言える。今一本吸えば、容易に一日50本の世界に戻れる。

 飲酒については、お酒の味はよく分からないけど、酔ったら多弁になって気分が良くなり、かなり飲めるほうだった、というかザルだった。過去には、一度飲み始めたら寝ないで吐くまで飲み続ける、というか止まらないという感じの飲み方をしていた。私にとってアルコールは、脱抑制を引き起こすが眠くはならず、記憶をなくすこともなく、むしろ目がさえてくる薬物である。特に学生時代はひどく飲んだし、卒後も毎晩晩酌していたし、お酒の入る打合せとかになれば、やはり吐くまで止まらなかった。で、次の日は二日酔いで予定をつぶすことも度々あって、あるとき二日酔いで仕事を飛ばしたことがあり、そこから酒はしばらく一切やめた。今は機会飲酒程度。

 自分でコントロールできたということは依存症ではなかったのだろうけれども、その傾向はあったと思う。今は、薬のせいかあんまり飲もうとも思わなくなったし、外で人と飲むこともほとんどなくなった(そういう人間関係がなくなった)。しかし、多分、今の職場で飲み会するよ、とかになって、飲める人が誰かいて、次の日予定が入ってなければ。。。飲み始めたら止められない気はする。

 ギャンブルはまあやる機会がなかったので全く興味なし。買い物依存もないかなあ。調子がいいと楽天で色々買って、買って満足して開封しないとかちょっと依存の色彩はありそうだけどどちらかというと衝動性の問題だろうと。結局クレカの請求額に驚愕して次は控えるとかコントロールはできていると自分では思っているので多分おそらくきっと大丈夫。

 今、この曲が「いいなあ」と聞けるのは、やはりだいぶうつが良くなったからだろうと思う。「ああ、私もあの時こうだったかも」と客観視できてるってことだから。うつ真っ只中では怖くて聞けなかったかもしれない。

 コンサータを飲み始めて、トレドミンだけではどうしても時々起こった「希死念慮発作」みたいなものはほとんどなくなった気がする。8月の通院記録まだ投稿していないけど、主治医からは「このままいけば減薬うまくいってなかったトレドミン、減らせると思うよー」と言われている。

 眠れない一晩をなんとかやり過ごし、襲ってくる希死念慮が通り過ぎるのをじっとこらえ、本当に一日一日、一瞬一瞬、死なずにいるということを積み重ねていく、うつ持ちにとって生きるってそういうこと。そんな感じだったな。今日も煙草を吸わずにすんで、今日も酒を飲まずにすんで、今日も死なずにすんだ。明日が来てほしくないから眠りたくないしどうせ眠れない。でも明日はどうやったって来てしまうしまた今日のように精いっぱいやり過ごさないといけないから、体力温存のため薬を飲んで強制終了する。このまま目覚めないといいのになと祈りながら。調子が悪い時はそうやっていた。

 こうやって、今、過去形で語れて、そして今は煙草のことも酒のことも「眠れないどうしよう」ともあまり思わなくなっていて、だから格段にうつ状態は良くなったとおもう。

 良かったかどうかは、、、分からない。ADHDとしては、また違った切り口で一日一日を乗り切らないといけないから。疲労困憊度も変わらないしね。。。