自分はいなくなりたいけどいないことにされてる人がいるのはとても嫌だという話

 基本的に生きているのが辛いというよりとても面倒くさい。なので、自分という存在がそもそもいなくなれば面倒くささもなくなるのに、とよく思う。「風呂に入るのが面倒」は本当に毎日毎日思っていて、体をきれいにしてもまた汚れてまた風呂に入ってでもどうせまた汚れて、、、この体がなければよいのにな、と何万回思ったことか。でも入浴してしまえば後悔したことはないのだ。めちゃさっぱりするから。

 

 新型コロナウイルス。。。手を洗う。何か触ったら手を洗う。洗ってもまた汚れる。とても面倒だけれど、でも手を洗わないと、自分は感染してあわよくば発症してしまってもいいんだが他人に迷惑がかかったり感染させたりするのは嫌なのでせっせと手を洗う。で、手を洗いながらこんなことを思う。

 偉い人たちが手を洗えって言って、私たちはそうだねって洗うけど、洗うための清潔な水も石鹸も手に入れられない人たちが世界にはいて、偉い人たちも私たちもそういう人たちはいないことにしている。

 偉い人たちが家にいろって言って、私たちはそうだねって家にいるけど、家にいたら食えない人とか身に危険がある人とかそもそも家がない人たちがいて、偉い人も私たちもそういう人たちはいないことにしている。

  国籍も在留資格も住民票も人ではないのになければ存在しないかのよう。人が存在する証明にそれらを使うのは手段としてはありだけど究極的には間違ってるよね。それらがなくても存在するのが人。命の危険にさらされたら国籍も在留資格も住民票もなにも問わずに助けられるべきだよね。

 でも偉い人や私たちは、緊急事態になって普段いないことにしている人たちが私らだってここにいるぜーって言い始めても、まるで聞こえていないかのように打てば響くような反応はない。そんな人たちなんていないって頑なに認めていないかのよう。まるで自分達しか存在していないかのように。存在している命を救わなきゃ。家がない?自分で選んだんでしょって。

 まだ気づかないのかな私たちは。私たちは偉い人の言う通りにできる偉い人の側だって思ってきたけど、ほんとはいないことにされてる側の人かもしれないよ。あるいはもっと状況が厳しくなればいくらでもいないことにされる。

 水道事業が民営化されれば清潔な水って本当に今まで通り使えるの?ホームレスやネットカフェ難民って言葉かあるのになんで公営住宅ってこんなに少なくてしかも家族向けなの?公務員や公的機関けずって不安なみんなの相談ちゃんと受け止めてくれるの?窓口の人の待遇は保証されてるの?ウチ、家人が他国籍だけどある日突然アンタ日本人じゃないからーって住民として扱われない日が来ないって保証あるの?

 世界中の全ての人に、清潔な水や安心できる住居や病気になれば必ず受け入れてくれる医療機関と療養施設や、生活上心配があってもあそこにいけば相談できるっていう開かれた窓口や、そしてちゃんと誰もが情報を得られるような教育とユニバーサルデザインされた情報などが開かれているか?緊急事態の今だから分かる。これらは平常時に十分に準備されていなくてはならない。平常時にでさえ衛生的で安心できる衣食住に困る人々がいるという事実を踏まえた上で、準備されていなくてはならない。

 誰もいないことにされてはならない。いないことにされるのは知らない遠い誰かではない。自分かもしれないし、自分の大事な人かもしれないし。あるいは、いるはずの人がいないことにされる社会って、正当化できる理由なんてないでしょう。だって、いるのだから。存在しているのだから。たとえ目の前にいなくても、存在を知らなくても。見えなくて知らないことは存在していないことにならないでしょう。

 。。。そんな風に、自分が見えない知らない人がいることに罪悪感を感じながら、そしていないことにされている人々がいるという事実に怒りながら、それなのに何もできない自分、何もしてない自分。。。ああこの手さえなければ洗わなくてもいいのに!などと考えては、私は手を洗いながら今日も疲れ果てている。