なぜ介護職を選んだか:「『生産性』がない者に生きる価値はない」という呪い

 ハローワークでの「専門実践教育訓練給付金」に関わる訓練前の手続きを終えたため、 実務者研修(民間の講座のページへのリンクです)の講座の申し込み手続きをして受講料も振り込んだ。後で7割の金額が戻ってくるとはいえ、この何かと入用の時期に10万円近い出費を伴う手続きをするというのは我ながら計画性がなくて笑ってしまう。5月末あたりって、自動車税と固定資産税の納税時期で、さらに車検が重なっていたのだった。自分のわずかな貯金を取り崩して支払いに充てた。

 

お金の管理は苦手だが、家人は私以上にお金の管理ができないので、同居してから家計は私が預かっている。何度か家計簿にチャレンジしたが続かなかった。一番最近では、中古だけれども家を買ったこともあり「ちゃんとしなきゃ!」と思ってなぜか複式簿記で家計管理していた。しかも手書き。簿記の勉強にもなるしー、とか考えていたが2年ぐらいやったけれども当然続かず。毎月使途不明金が万単位で出るしほとんど管理できてなかった。資産の増減だけ毎月見えたのはよかったかなと思うぐらい。とりあえず主たる稼ぎ手である家人が失業しても一年間は暮らせるだけの貯蓄はしてあるのでよしとした。しかしクレジットカードの請求額に時々びっくりするので、住宅ローンの繰り上げ返済は無理そうだ。。。あと、確実に医療費控除されるのだが何年も確定申告していない。。。毎年のやることリストに必ず入れているのに。

 話を戻すと、実務者研修の受講料を払ったらすぐにテキストが送られてきた。なんか2センチぐらいの厚さのテキストが5冊も来たぞ。基本的に通信講座なので、これを自宅学習で3か月ぐらいで終わらせなければならない。で、6回ぐらいスクーリングに行くことになる。何とか修了して来年の介護福祉士国家試験の受験資格が得られますように。

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 私は今、特別養護老人ホームで介護職をしている。週三回のパートタイム勤務である。それまで全く高齢者福祉に関わったことはなかったのだが、無資格未経験で今の職場に勤め、ちょうど3年がたったところだ。なぜこの仕事を選んだのかというと、まあ、入職した当時は今よりもうつの薬が多めに入っていたし、認知もまだ歪みまくっていたので、本当に当事者には失礼な理由だった。

 

2016年の夏、相模原市の障害者施設で入所者と職員が多数殺傷されるという凄惨な事件が起きた。現在死刑が確定した加害者の植松死刑囚は、公判でも「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と述べているように、周りに負担をかける人間は存在すべきでないといういわば優生思想の持ち主だったといわれる。私は、この事件の残虐性そのものに当然ショックを受けたが、それ以上に、自分の中に加害者と同じような優生思想めいたものの存在があったことに気づいてしまい、かなり混乱したことを覚えている。私は、ある社会的弱者の人々の支援活動を長く続けて生きてきたので、なおさらのことだった。

 「『生産性』がない者に生きる価値はない」。これは、活動に行き詰まり日常生活にも支障をきたして全く前にも後ろにも動けなくなった末に自殺企図めいたことをやらかした時に、私を支配していた考え方だった。また、その後の治療の過程の中でも繰り返し自分に言い聞かせて、すっきりと回復しない自分を責める根拠にもなっていた。そして、この事件が起き、加害者の思想を聞いたとき、「『生産性』のない私は死んでもいい存在、ならば、働くことのできない障害を持った人々も、病気の人も、何もできないと思われている人々は生きる価値なしと私は思ってきたということか?ずっと携わってきた活動の対象者も、自分たちではどうしようもない理由で社会適応に困難をきたしていたけど、私は支援活動をしながら、そういう人たちの存在でさえ実は否定してきたってことなのか?」

 私は当時、うつの治療が3年目に入っていて、前の活動は本当に周りに迷惑をかけるだけだったのできっぱりやめ、でも気遣ってくれた同僚が紹介してくれた週1回の事務のパートに出ていた。でも、朝起きてみないとその日の体調が分からないという調子の波に日々翻弄されており、ほとんど家にいるのに家事さえできないことに家人に申し訳ないとも思っていた。とにかくここにいると大事な人に迷惑がかかる、でも自死したらもっと迷惑がかかる(前の自殺企図の時は大騒ぎになったので、、、)、だから離婚して転居しよう、でもその時に自分が自活できなかったら家人は離婚に応じないだろうから、ちゃんと働こう、自活できて離婚して転居したら晴れてひっそり自死を。。。みたいな本当にバリバリに認知が歪んでいた真っ最中だった。実家に懸案事項が一つあったのだが、兄弟に話をつけて懸案事項の解決の布石まで打っておいて準備を整えつつあった。カウンセリングも長く受けていたのに本当に主治医にも心理士にも申し訳ないぐらいに。ただ、かろうじて「これは認知が歪んでる」という病識はあったと思う。

 そんな中、この事件が起きて、自分の中の優生思想や差別意識にショックを受けて、でもやっぱり私は存在していいか分からないんだけど、優生思想の立場から「生産性」あるなしで存在の可否を迫られる人々、例えば重度の障害者であるとか、要介護の高齢者である人々の、「生」の実際をちゃんと知ってから、自分の存在についてはそのあとで考えてもいいのではないかと思うようになったのだった。その人々は、「尊厳」を守られるべき存在として制度として擁護されているし、その人々の生を実際に支えている人々もいるのだ。そういう、生きている人々、生きることを支えている人々の存在というか、実存をちゃんとみておいて、自分の存在や自分の思想への自己ジャッジはとりあえず脇に置いておこう、とそう思うに至った。それならば、次の仕事としては障害者支援か高齢者支援かと考え、とりあえずその秋から介護職員初任者研修を受けて、その修了証をもってハローワークで仕事を探した。結果、現在の職場が一番近くて条件も合っていたので応募して採用されて今に至る、というわけである。

 「『生産性』がない者に生きる価値はない」というのは、その「生産性」という言葉の定義にもよるのだが、やはり新自由主義的な経済成長と効率化が是とされる社会の中で生まれ育つ者たちにかけられた「呪い」のようなものなんじゃないか。私は実家が農家の団塊ジュニア世代なのだけれども、弱小兼業農家の親は「田んぼじゃ食えん」と、高度経済成長で稼いだお金を私たちキョウダイの教育費に充てた。男女雇用機会均等法の成立と女性の「社会進出」もメディアからキラキラと流れてきて、いずれは私も生きていけばバブル経済の象徴のようなトレンディドラマで男と別なく働いてやたらおしゃれなマンションに住む女主人公のようになるのかなと夢想して思春期を過ごした。そう思っていたら大学卒業前にバブルがはじけ、私たちの学年から公務員試験浪人と院進学者が激増した。その一方で「自己実現」のための「フリーター」としての非正規の生き方ももてはやされる。成長し、働き、自己実現する。それは当然であり是であった。それでも結果として私たちの代から「ニート」や「引きこもり」が出現したのも確かだ。成長することも、働くことも、自己実現することもできない者は、その状態を克服すべきものとされた。自分の力でだ。しかしそれは、単に経済界が経済成長するために人間に課した要請でしかないのだ。「生産性」はそこからの呪いでしかない。そのことと、人間が人間として存在することそのものの価値は、まったく別次元の話であるはずなのだ。しかし、この呪いは容易に解けず、私はいまだに苦しんでいるようだ。

 認知症高齢者の生活を施設の中でではあるが日々見て思うのは、一日一日衰えていき、一日一日その人生を終わっていく人々に対して、「生産性」などという言葉は全くそぐわないというか場違いというかその生活の中で浮上さえしてこない概念だということだ。「人に迷惑をかけない」という言葉にしても、その人それぞれの生育環境やパーソナリティーや疾患による症状で、本人が苦しんだり周りの高齢者や職員が困ったりすることも多々あるわけだが、「人に迷惑をかけない」で生きることはこの人々には無理なのであって、さらに言うと、人に迷惑はかけるかかけないかではなくて程度の問題とか、タイミングとか、運とか、めぐりあわせとか、単にそのようなものに思える。どんな人であっても、何をした人であっても、この人たちの「最後」をきちんとしたものにする、というのが介護職の仕事の目指すところの一つなのだが、そこに、その人のその「生」に価値があるかないかなど他人がジャッジすること自体がおこがましい。この仕事をしてそういうことは分かってきた。

 でも、自分が自分長い間かけてしまった呪いはなかなかに解けない。もちろんADHD特性もあるのだけれど、仕事のミスとか、忘れとか、時間内に終わらないとか、マルチダスクができないとか、仕事が終わってもちょっとしたことを延々脳内で反省会するとか、そうやって私は疲れて、帰りながら涙を流していることがある。完全には希死念慮は消えていない。高齢者の人々の生活を見て、他人が私のジャッジをすることはできないと気付いたけれども、自分で自分をジャッジすることからはまだ逃れられておらず、そこには「生産性」の呪いがかかったままなのである。

(ちなみに、介護職は究極のマルチタスクだ。主婦なみ。事務職の比ではない。職業選択間違えたかもしれない。。。)