精神科受診&カウンセリング記録

 先週の精神科主治医の診察とカウンセリングの記録です。カウンセリングは、主治医のクリニックで心理士さんが担当します。私は現在、主治医の診察は4週間隔になっています(もともとは2週間隔でしたが安定したので)。カウンセリングも、はじめは2週間隔→4週間隔→現在はおよそ2か月に1回のペースになっています。

 前回の受診の記録はこちらです↓

nemannema.hatenablog.com

 朝起きてから病院までのもろもろ:すべてがADHDのせいに思えてしまう

ーあさ当然のようにギリギリまでベッドの中で過ごし、その後洗濯して、着ていく服にアイロンをかけ、化粧とマニキュアを施し、家を出たのは一本電車を見逃す時間であった(予定通りと言えばその通り)。出てからバッテリーとバングルを忘れたことに気づく。気づいてしまうとバングルを付ける予定の右手が気になって仕方がなくなる。

-受付で診察券と保険証を出したあと、トイレに入って手を洗っていると、後ろで受付の方の「あ。。。」という呼び止めの言葉が聞こえたのだが、自分のことだと思わずにを手を洗ってトイレからでると、歯科医院の受診カードを返されて「保険証ありますか」と言われて(爆)ってなった。

ー待合室には「発達障害」とタイトルに大きく書かれた市販本や、製薬会社のパンフレットが並んでおり、「発達障害とは乗り越えるべきイシューである」と目の前に迫ってきてちょっと辛くなる。しかし逆に「発達障害の人たちはもうちょっと病識を持て」ということなのかもしれない。いずれにせよ辛くないですか。

ー名前が呼ばれて診察室に入ると、主治医はグレー地に白熊柄のの明らかに手作りっぽいかわいい布マスクをしており、、めちゃ和むわーと眺めていたらそこに意識が集中してしまい話すべきことが飛んでしまう。

主治医の診察:検査結果は言わないけど服薬はすすめてる風

主治医(以下「主」)どうでしたかー?

ーこの先生の最初のオープンクエスチョンになぜかいつも戸惑う。いつもこの質問なのだから、いい加減第一声答える言葉を準備しておけばいいのにいまだにできていない。

ねま)。。。。。。。。。。。(しばし沈黙)。。。。。えと、ちょっと波がありますね。食べれているし。眠れてはいるが、最近は眠剤飲んだ後にいろいろ気になって調べ物を始めたらして寝る時間が遅くなってる。仕事の日は朝起きるが、休みの日は起きても二度寝かぐずぐずしてる。

主)やはりそれは物事の切り替えがうまくいかない特性の問題からきてると思う。この前検査も受けてもらったけど、今までの話を聞いていても、AHDHの薬で改善できていくと思うんですけどね。薬は3種類あってストラテラコンサータとインチュニブ。それぞれ値段とか1日何回飲むとか違ってきます。それぞれのパンフレットあげるので読んでおいて。来週検査結果の詳細を聞いて、そのあとすぐ診察で薬を決めるのも難しいと思うので、すこし時間を置くのでどの薬がいいか少し考えてきてもらって、質問があればしてください。メイラックスは飲んでた方がよさそう?

ねま)イライラすることが多くなっていて、利用者にイラっとすることが増えてあまりよくないが、飲んでたほうがもう少しフラットになってると思うのであったほうがいいです。

主)じゃあ引き続き出しておいたほうがいいですね。あとトレドミンも減らそうとしてなかなかうまくいかなかったけど、ADHD薬はどの薬も、今飲んでる薬と併用できますから、プラスして飲んで、うつの薬は減らしていけるようなら後で減らすのでもいいと思うので。あと検査結果は来週、検査してくれた先生から説明があるので、質問等があればその先生に聞いてください。で、そこで聞いた自分の特性についてどうしようかという部分では、いつものカウンセリングでもお話しできますから。

  • <次回の診察>検査結果説明の翌週

ー次回予約のために仕事のシフト表を持ってきていたのだが、前のもので使えなかった。。。一応予約入れて、都合悪ければ後で変更することに。なので念のため薬は多めに処方してくれるって。う、ありがとう先生。

  • <薬>

トレドミン抗うつ薬)25mg×2錠←変化なし
ネスタ睡眠導入剤)1mg×2錠←変化なし
メイラックス(安定剤)1mg×1錠←変化なし

 

カウンセリング:過去からやってきた希死念慮と認知の歪みの自己修正と「ADHD」という操作的アイデンティティ

カウンセラー(以下「カ」):二か月ぶりですけどどうでしたかー?この前検査受けたんですよね。どうです?

ーオープンクエスチョンやめて。。。

ねま)検査は疲れた。数唱と暗算が難しかったので改めて耳で聞いて覚えておいて考えるのが苦手と分かった。
 調子は、いつも疲れている。仕事の後は特に家ではほぼ動けない。ぐるぐる考えて寝る時間も遅くなっている。この前は仕事中に泣いてしまったり、イライラするので、先生に安定剤を追加してもらった。また、徒歩での帰り道で一人脳内反省会をしながら歩いていると、時々泣くようになっている。途中踏切があるのだけれど、希死念慮があるのか、それとも以前自殺企図した時の感覚がよみがえっているのか、踏切がちょっと怖い。

カ)ねまさんは言葉で考える力があるので、ちょっとしたことでもたくさんの言葉で考えてしまって考えすぎて止まらなくなるんだと思います。やはり頭の切り替えの問題でしょうね。

ねま)ああ、先生はそこは薬で改善するんじゃないかと言ってた。

カ)服薬してる方から聞いた話ですけど、「頭の中が静かになる」って感じだそうですよ。調子が悪いのはなんでだと思います?

ねま)仕事が忙しい。減薬の影響もあるだろうし、あと、「ADHDかも?」って言われたときに過去に戻っちゃった。「あの時ああだったのはADHDだったから?」「誤薬したのはADHDだから?ってことはまた絶対誤薬するよね」「障害なんだから治んなくね?」「ADHDって自分も困るけど周りもかなり困らせるやつだから、すごく今まで周りに迷惑かけてきたんだろう、ですごく助けられてきたんだろう、申し訳ない」みたいな。ただ、「誤薬したのはあの時だけで、それ以前はやってないし、そのあとも一度もやってないから大丈夫じゃね?」って思い直してはいる。

カ)障害というよりは脳の「特性」の部分ですから、ADHDの診断あるなし自体はそんなに今後どうするかということに影響しないです。検査は障害かどうかではなくて得意不得意を見るものなので。今までいろんな「失敗」だと思ってきたことがあるから、ADHDかもと言われたときに紐づいちゃって「失敗」にフォーカスしちゃったわけですね。でも誤薬云々のことはまさにその通りで、考え方をすぐ修正できたのはいいと思います。あと、踏切が怖いのは、今の感情というよりも、やはり以前の自死を考えていた時の辛さがよみがえって今まさにそこに心が戻ってしまったかのようになっているのかと。おそらくまだ、そこは傷みたいにして残っていて、うまくご自分の中で消化されていない部分なんでしょうね。でも、そうやって感情はちゃんと動いているということは心は健康です。本当に悪くなると感情は動かなくなりますから。

ねま)。。。(泣く)。。。ADHDの診断あるなしは私もそんなに重要ではないと思っていて、例えば昔外国人の子たちでアイデンティティに悩んでたりしたら、何人でも、今自分に必要なアイデンティティを選べばよくて、あとで必要になくなったら捨てればいいと言っていたみたいに、今何かしらよくなるために、自分を客観視するためにADHDというアイデンティティが必要ならそれを選ぼうという感じ。必要無くなればそういわなければいい話で。今回ADHDかも?と言われたのは自分では治療のいい仕切り直しになったと思ってる。今までは病識がなかったというか。よくはなりたいと思っていたものの、切り口が違うというか。

 仕事をしているADHD当事者のブログとか結構あって、みんなどうしてるのかなといくつか読んでみたんですが、お役立ちグッズとして薬ケースを買って使うようになった。これが超快適。私の薬は別に飲み忘れてもどうってことはないのだけれど、いつも「飲んだっけ?まだだっけ?」「薬の数合わない」とか考えたり、シートに日付書いたりしていたけどどうしても「あれ?どうだっけ?」てなることがあったのが、ケースにしたらまったく考えなくなった。飲み忘れもいつの何の薬を忘れたかすぐわかるし。「あー。飲んだんだっけまだまっけどうだっけ」って考えること自体脳に負担をかけてたんだなって分ってちょっとびっくりした。本当に考えないって楽なので。

 一方で、薬を飲んでまで適応しなきゃなんないの?という思いもぬぐえない。問題は私はどうしたいのかということで、本当に意味が分からないと気がある。前と比べて身なりに気を使ったりネイルや美容院にお金かけて気分が良くなったり、猫がかわいくて嬉しいと思うようになったけど、次の瞬間には「何の意味もないこんなもの」と思ったりしている。でも、生きていくってそういうものだとも思う。私だけではなく、みんな他の人たちも「死にたいけどトッポッキは食べたい」みたいにして一日一にやり過ごしてるんだと思う。私もそうやっていけばいいのかなと。で、気分がいいとかそういう場面が増えていくのかなと。

 前に進んでる体ではいたいので、今度の介護福祉士国家試験を受けようと思っていて、受験資格に必要な実務者研修をハローワークの訓練給付金を受けて受講することにした。絶大に応援と励ましをもらった事前コンサルティングを受けた後、帰り道に申し訳なさがぐるぐるすることがあって。「私より大変な人がこの制度は受けるべきで、人の時間とお金をかけて申し訳ない」みたいな。でも、そのあと、それは自分をいじめるための材料を探してきてるだけであり、コンサルも給付金も当然の権利なんだから申し訳なく思う必要はないんだと思い直した。そういう自分をいじめる傾向はある。

(カ)「申し訳ない」というのは、もしかして診察やカウンセリングでも私たちに対して思ったりしてます?

ねま)当然しますよねー。ちゃんといい患者でいられているだろうかとか。でも、もちろんそれは私の責任ではないところまで気にしてしまっているということは理解できてる。呪いはなかなか解けないというか。やまゆり園の植松死刑囚と同じ優生思想みたいなものが自分の中にあったことに私はかなりショックを受けていて「生産性がなければ生きててはいけない」っていうのはまさに自分に対して思い続けていて自殺企図にまで結びついたので。でも、これは私の中ではそれは間違いだと論破はできている。頭では理解している。それでも、自分をいじめる材料をどこからか引っ張ってきてしまう。

カ)でも、いったん自分のせいじゃないのに自分のせいにしたりしても、結構そのあとすぐ修正できるようになってますよね。フラットに物事をとらえることができるようになってきてるんじゃないでしょうかね。修正できているのですから悪いことではないです。

  • <次回のカウンセリング> 二か月後