WAIS-Ⅳ知能検査結果報告と所感

 先月受けたWAIS-Ⅳ知能検査の報告を受けにクリニックに行ってきた。前回の診察とカウンセリングはわずか三日前だったのだが、当然この検査結果は主治医も心理士も分かったうえでの診察とカウンセリングだったと思われる。なのでお二人とも「服薬で改善する可能性あり」を匂わせておられた。。。

 前回の診察&カウンセリング記録はこちら↓

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 WAIS-Ⅳ知能検査を受けた報告はこちら↓

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「お出かけ」「お仕事」以外の雑用ができるかどうかは精神状態のバロメータ

 さて、予約は午後1時半だったのだけれども、洗濯をしなければしなければと思いつついつもの通りぐずぐずしていたので、ギリ2回洗濯機を回したが、予定より一本遅い電車に乗った。ちなみに、仕事がない日に洗濯や掃除や料理ができるかどうかは、私自身の中では精神状態をはかるバロメーターになっているので、なんかいつもこのような書き出しになる。
 私の今年の目標は「『暮らし』を作る」に設定しており、つまり生きるとは日々食べて寝て排泄してそして雑用をこなすことであり、それができて始めて「仕事をして成果を出す」とかができるわけなんだから、先ずは日々淡々と暮らしましょうと。私にとって洗濯は比較的取り組みやすい雑用だ。鬱が深い時もとりあえず洗濯機のスイッチは推すことができていた。よく言われるけれども鬱になると最もできなくなる家事は料理である。まず買い物に行けなくなる。いけても売り場で途方に暮れることになる。料理ができた日は、私は「今日は調子がいい」と判断できる。どんどん話がそれるが、この目標「『暮らし』を作る」は、すでに今年の半分を過ぎた現在、全くといって程進んでいない。「書斎を片づける」これは今年の第一週目からまさにイマココまで、手帳の目標欄に繰り返し掲げられており、手帳を開けるのが苦痛になっている。というかもはや手帳は開けない。開けば書いてあるタスクリストは「やってないことリスト=できないことリスト」と化している。まさにADHD感ある。

心理士さんより検査結果を聞く:耳からの情報処理苦手、視覚情報処理得意、マルチタスク苦手、相手の話の意図が理解できてない

 話を戻すが、事前にネットで、ADHDでかつ検査を経験した人の体験ブログなどを、一応読んでおいた。何がどう話されるのか、で検査結果を皆さんどう言う風に受け止めているのか、ちょっと構えを作っておこうというわけである。で、具体的にIQの数字を挙げている人たちはほぼ「ギフテッド」レベルの方たちで、自己分析がすごい。大体は「頭の回転の速さに言葉や動作が追い付かない」みたいなものだった。私は頭の中がいつも同じところをぐるぐる回転していて早い遅いに関係なく、何も言葉にもならず、ただ泣いてしまうので、あまり参考にならず。事前予想としては「ワーキングメモリー」の値が悪いだろうとは思っていて、それは単に「すぐ忘れるから困る」程度のものだと思っていた(が、もうちょっと深かったというのがこのお話)。

 さて本題。説明してくれた心理士さんは、検査を担当してくれた方。検査結果の各項目数値やそれをグラフ化したものが書かれた紙を指さしながらの報告(結果としてその紙はこちらにはいただけないものだった)。口頭での説明の最後に、抜粋した数値の表とグラフ、そして心理士としての所見をまとめたA4用紙3枚の報告書をもらった。数字としては最も高い得点「知覚推理」と最も低い得点「ワーキングメモリー」の差は「22」。とりあえず説明された内容は以下。質問はざっと説明が終わってからまとめてしたのだが、分かりにくくなるので、以下項目ごとに挿入している。
WAIS-Ⅳ知能検査の説明については↓以下参照。

https://www.nichibun.co.jp/kensa/detail/wais4.html

 

【「ワーキングメモリー(WMI)」:他と比べて有意に低い】

 「ワーキングメモリー」、つまり「耳から取り入れた情報を一時的に記憶しつつ、理解し、考えたり計算したりする力、複数の情報処理を頭の中で行う力」なのだが、私はこれが最も苦手であろうとのこと。数字の順唱、つまり聞いた情報をそのまま「丸暗記」するものは比較的できたものの、「逆唱」や「暗算」など、一時的に記憶しながら脳内で何らかの処理が必要になる作業は達成度が下がる。このことから、口頭で言われたことが分かりにくかったり、何を言われているか考えているうちに混乱してきたり、勘違いしたり。。。などになりやすいので、「頭の中だけで考える」ということを避けて、メモを取ったり書き出したりして視覚化することが良いとのこと。
 →「電話しながらメモが取れない」のはココに関係するとのこと。いつも電話に出ているときは、覚えてる単語をメモしておいて、「復唱します」って確認して、追い付けないときは「ちょっとお待ち下さい」と話すのを待ってもらったりしていたが、自分なりに工夫はしていたということだ。

【「言語理解(VCI)」:全体としては高い得点が出ているが、要点をつかむ力は極端に低い】

 「言語理解」は、「ことばによる記憶力、表現力、抽象的な言語概念の理解や思考力など」を指す。このうち、私は学習によって獲得した言葉の力、例えば語彙や知識の豊富さ、論理だてての説明力には問題はなくむしろ得意な方であるとのこと。しかーし。この検査の下位項目で「類似」という検査項目があるのだが、この数値が極端に、アンバランスにできなさ過ぎたらしい。この部分は、物事や言葉の本質をつかむ力に関わるとのことで、これが弱いということは、要点や意図をつかめないとか、自分の言いたいことが伝わらないとかということが起きやすいとのこと。なので、「他者とやり取りする際には、相手の意図を確認しましょう」というご指摘。
 →前職で2時間の会議を準備をして議題を回すということをやっていた時、次の日起き上がれないほど疲れてしまうことがあった。今何が話されているか理解するのに精いっぱいで自分の意見は考えもつかないし、脱線したら修正しないといけないが脱線しているとも分からないし、記録も流れをまとめるというよりは、逐語記録か、結論のみを書く、ということしかできなかった。これは「ワーキングメモリー」にも関係するが、「話の要点や意図がつかみにくい」という特性に由来するかもしれない。

【「処理速度(PSI)」:単純作業はよくできるが広い範囲に注意を向ける課題は苦手】

 「処理速度」は、「手と目をスムーズに動かして作業する力や、情報処理の速度など」にあたるもので、私は、単なる情報処理や作業は非常によくできていて手先の器用さも見てわかるとのこと。しかーし。広い範囲に注意を向ける課題だと得点が低下(下位検査「符号」の項目)。だから何らか作業を行う際には、一度にたくさんの情報を処理しようとせず、分けたり範囲を絞ったりして取り組んだほうが良いとのこと。

【「知覚推理(PRI)」:最も得意だが、情報量や注意を向けるべきところが増えると処理スピードが下がる】

 「知覚推理」は、「目で捉えた情報を元に頭の中で考えたり、イメージを操作したり、構成したりする力など」にあたるそうだが、私はこれが最も得点が高く、視覚的情報理解力、空間認知力、それらを基にした分析力や一部情報からの全体構成力も高いとのこと。しかしながら、情報量や注意を向ける部分が増えると極端にスピードが落ちて制限時間超過により得点に至らなかった問題があったと。やはりここでも、目で見る範囲を広げず情報を絞る、分けて処理する、ひとつづつ取り組むといった工夫をする方がこの能力がより生かされますよというご指摘。
 →物事の見通しを立てづらいというか、段取りが極端にできないと思っていたんだが、そういうことではなくて、処理する量や範囲を大きくしすぎてしまって処理しきれなくなってるってこと。鬱になってから特に本が読みにくくなっているがスマホ画面の電子書籍なら読めるというのは、見える範囲が狭いので情報処理が限られるからかも。ただ、「加齢も影響しますよ(笑)」と指摘あり。

 以上より、生活の中では、複数情報処理が苦手で重要ポイントがつかみにくく困難さが生じていると推測される。薬物療法も選択肢の一つだし、日常生活の中で以下工夫してみて、具体的対処法についてはカウンセリングで相談するといいですよ、と提案いただく。

  • たくさんのことを一度に取り組まず、タスクを分ける。情報を分割する。
  • 情報を視覚化する。
  • 相手の話の意図を確認する。

 あと、心理士さんの感想っぽい話。「全体としての能力は決して低くないのに、極端に苦手な部分があって物事が遂行できないという方は、他の人からは『さぼってる、怠けてる、頑張ってない』とか言われ、ご自分でも甘えているんじゃないかと自分を責めたりするので、なかなかお辛かったんじゃないでしょうか」。「先生(主治医)も『付き合いが長いのに(8年目)もっと早く気づいてあげればよかった』って言っていましたよ」(泣。。。)。ちなみにということで、「女子のADHDは見逃されやすい」という話もしてくれた。男子は多動性や衝動性などが行動として大きく出て目立つので、「問題行動」として親や先生など周囲に「発見」されやすいけれども、女子は男子に比べコミュニケーション能力や共感力の発達が早いので、「問題行動」として目立ちにくいらしい。まあ、私の子どものころにはそもそも「発達障害」の概念そのものがなかったけれども。

検査結果を聞いてみての所感

 「ワーキングメモリー」が低く出るだろうという予想はしていたので「やっぱり」という感じであった。さっき置いたものを見失う。さっきまで考えていたこと、やっていたことを見失う。私は結婚後結構すぐ結婚指輪をなくしました(爆)。傘は極力持たない。必ずどこかに置いてくるから。外出中手から離したものはたいてい持って帰ってない(スマホとか財布とか)。物だけではない。話しているうちに結論を見失う、もある。私はいつもいつも何かを探している。自分の頭の中も、「あれ」今なんかつかんだな分かったな!と思っても、次の瞬間どっかに行く。寝て起きたらなかったことになっててまた一から考える。そして見失う。いつでも迷子感ある。そういえば検査中、ここの課題の数字逆唱と暗算に関しては「わかりません、できません、忘れました」ではなく、私は「あー、もうダメですー、見失しないましたー!」って言ってたな。
 現在の施設介護の仕事は申し送りが肝なので、私はメモが必須。受けるときも送るときも文字情報にしておかないと自分が不安。ただ、忙しいとメモし忘れて、一度忘れれば永遠に忘れる。メモをいつもと違う場所に置いてしまうとメモが行方不明になる。いったんメモして別紙に清書しないと最初の文字は読めなくなる。乱筆過ぎて賞味期限付きなのだ。メモは大事だがメモ管理が苦手という。。。いろんなアカウントのIDとパスワードは色んな所にメモした結果「家の中のどこかにある」ことしか分からない。「アカウント管理用のノートを一冊作っておいてそれに必ず書くようにするんですよー。」と後輩から至極まっとうなアドバイスを受けた過去があるがまだ遂行していない。
 視覚情報のほうが理解しやすいというのも感覚としては持っていたので「情報を視覚化しましょう」も納得できるものだった。私はいわゆる「片づけられない」人なのだが、収納してしまう=視界から消える=ないものになるので、「ある」ことが分かるように片づけねばならない。同じ本を三冊買ったことがある。なので、既に職場や家での物の管理は「視覚化」の方向へもっていこうとしている。ただ「先延ばし癖」によって遂行が阻まれているのだが。。。あと、ADHD持ちの方の中には車の運転や運動ができないとか、手先の不器用さの訴えをよく見かけるが、私の場合は車の運転は苦でないし、球技は得意なほうだし、裁縫とか工作も好きだ。これも、視覚情報に強いのと空間認知力があり、かつ「処理速度」も低くないからだと理解できる。
 ただし。運転に関しては、一度道を覚えてしまえば大丈夫だけれども、不慣れな場所に行く場合、「ナビに従って運転」は超苦手である。そのナビが機械であっても人であっても。同乗者と話しながら運転していると高確率で信号無視するので同乗者を震え上がらせるしIC出口間違える。あと球技は好きだがチームプレーは苦手である(爆)。ようするにマルチタスクになるとてんでダメなのだ。検査結果通り。「タスクを分けましょう、一つ一つ取り組みましょう」。腑に落ちた。前職で超絶できなかった仕事は「複数人で行う会議」の日程調整だった。考慮すべき変数が多すぎて何から手を付けてよいか分からなかった。
 ちなみにタスクリストとか作業リストは私も作るのだが、前述したとおり「やれないことリスト」と化している。これは、項目が大きすぎるのだ。「①書斎の整理」ではだめなのだ。「①片づける場所をまず分ける(机の上/右の引き出し/二番目の引き出し/・・・)②全出した中身を広げるための作業スペースを確保する③いるものといらないものを分ける二つの袋ないしは箱を準備する④そこに「いるもの」「いらないもの」と記入する。。。。」ぐらいタスクを分解しないといけないのだ。実はここら辺もすでにこうやったらいいのでは、、、というあたりはつけていて
 片づけに関してはなちゅ。(@itacchiku)さんのコレが最強と思ってるし、

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タスク管理に関してはF太(@fta7)さんと小鳥遊(@nasiken)さんのコレ

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のなかで言及されている「手順書」を参考にしようと画策中。なのだが「先延ばし癖」によって遂行が(以下略)。。

若干ショックだったこと「言葉で本質をつかめない」

 「物事や言葉の本質をつかむ力が弱い」「重要ポイントがつかみづらい」「相手の言葉の意図を間違える」などは思ってもみない結果だった。若干ショックを受けたと同時に、次々と思い当たるエピソードが走馬灯のように脳裏を駆け巡った。。。

  • 幼少期は読書好きだったがそういえば図鑑とか辞書を好んでいた。「作文」は超絶できたが(言いたこと書くだけだから)、「感想文」は超絶できなかった(何が書いてあったか説明できない。感想など持てない。あらすじしかない)。
  • 人の話を聞いたり、文章を読んだりしていると「言葉尻は理解できる」のだが、「全体としてこの人は何が言いたかったでしょうか?」となると言葉が出てこない、分からない。
  • 前職で同僚に仕事のやり方についていろいろと改善アドバイスをもらった時に「言葉はわかるのだけれども、多分何を言っているか理解できていないと思う」と言ってあきれられたことがある。
  • 「注意されてもできないってことは、何を言われてるか真には理解できていないのではないの?」と指摘されたことがある。これ自体何を意味するか分からなかった。言葉は分かるのに。
  • 「あなたは人とやれない、一人で仕事してると思わないで/一人でやった方が向いている」と言われたことがある(複数人に複数回)。
  • 「あなたは学習しないよね」「積み重ならないよね」と言われがち。不注意にも関係するのだろうけど、「これはなぜそのようになっているか」という本質が見えていないのである。作業はいつも一から順番にしかできない。できてるとこ途中から始めるとかできない。作業とは目的に向かっていくことなのだけれども、多分私は順番を追うことになってしまっていて、本質を見失うのだ。
  • 小学生の時の通信簿の所見「人の話は聞きません」は、単に興味がなかったか多動だったかもあるだろうが、人の話の真の意味を理解していなかったのかもしれない。私は得意分野の創作物の作成で幼少期にみんなの前でえらく怒られた経験を3回している(そしてこれは結構鮮明に覚えており、何かあると思い出して自分がダメ人間である論拠として自己引用される)、保育園の時の折り紙、幼稚園の時の読書感想画、小学校家庭科のエプロンづくりのポケット刺繍。授業で教えたこと以上のことをやっちゃったからなんだけれども、これらはなんで怒られてるのか本当に全く意味が分からなかった。聴覚情報苦手とか衝動性由来かもしれないけれど、「相手の意図を間違える」という面もあったのかもしれない。スクールバスではいつも立ち歩いて騒いで運転手さんに「うるさい」と怒られていたが三秒後にはまた騒いでいた。だって楽しいから(爆)。「立ち歩いたり騒ぐと危険だよ」ということが理解できなかったんだなあ。。。
  • ずーっとぐるぐる同じことを考えて体自体が動けなくなっていることがある。風呂に入るかどうかで二時間考えているとか。入ったら入ったで二時間入っているとか。これは単に「先延ばし癖」なのかもしれないけれども、同じことをぐるぐる考えるというのは「結論が出ない=物事を言語で整理できない」ということなのかもしれない。
  • 理由が分からいけど「(多分)疲れていて泣く」ということが時折あるのだが、これは言語で感情処理ができないからではないか。そういえば物心ついたときから「どうすればいいか分からなくなって泣く」ということがあり、そういう自分のコントロールできなさが嫌で、泣くに至る感情の揺れを極力なくそうとしていた時期が長い。
  • それに関連して思い及んだのは、言葉で本質をつかめないというのは、育った言語環境という後天的要因にもよらないか?ということだ。私は方言の強い地方出身なのだが、当然育ちの言葉、幼い時の感情表現の言語は方言だったわけで。でも学校で習ったり公的に使用するのは標準日本語。学校の先生は標準日本語の教科書をほぼ標準日本語で教えていた。だが家父長的な当時の田舎の農家では、学校での出来事とか今の気持ちとかそういう子どもが自分のことを言葉で説明することはほとんど求められない(バーンステインが言うところの「制限コード」 )。感情を整理する言葉の力が小さい時に育たなかったのを引きずっているのではないのかな?私は作文は得意でよく褒められたのだけれども、いつもいつも自分の言葉じゃない借り物の言葉な気がしていて居心地が悪かった。大学時代には方言を笑われるので標準日本語に早々矯正した。「悲しい」「辛い」「苦しい」「嬉しい」「楽しい」。。。どれもしっくりこない。なんだか「書いてある」「張り付いてる」言葉感。心とぴったりになっていないというか。離人感もこの辺りからくるのかもしれない?

自分から見る自分の「能力」と他人から見る私の「能力」と治療が必要なのかどうかということと

 私は学校の勉強は平均以上はできていたし、大学も(文系だったからかろうじて)卒業したし、事務仕事もはじめは一通りはすぐできるようになるし、新しいことを覚えるのは不安が多いができないことはない。一時期は「長」が付く管理的な仕事もしていたし、研究者と共同研究なんかもやって論文も書いていた。だから、それなりに他人からは「能力がある」と思われることが多い。でもそれは、他人からは私の得意な特性の方が見えやすく、それが私の能力を評価する基準になっているのだろう。そして、周りの期待は上がっていく。「もっとやれる」「これもやれるはず」「あなたはやらないだけ」。

 一方で、私自身は自分の能力の判断基準は不得意な特性の方になっているから、自分としては能力は高いと思っていない。でも他人から期待されて「これやって」と言われてできてしまったことが多かったので、自分でも「もっとできるはずだ」「私がここで止まってはいけない」「でもできない」「できるはずなのにできない」みたいに自分を追い詰めていったのかもしれない。鬱治療の最初のころに受けた心理検査では「要求水準が高い」と言われたのだが、そういうことかもしれない。最初から、要求水準を下げれば「普通に」生活や仕事はできるのではないの?と思ったりもする。
 この知能検査はADHDの診断を下すためのものではなく、特性、能力の凹凸を見るものであって、凹凸があれば全体の能力が高くても生きづらさが生じる、というのは理解している。が、私は今回の検査結果に対して相矛盾する二つの思いを抱えている。

 ワーキングメモリーが低いとはいえ平均には至っている、日常生活は遅れている、生活はできている、週三回とはいえ仕事は行っている。五体満足、精神科にかかっているとはいえ内科外科的所見は全くない。こういう者に「支援」や「治療」は必要なのか?それを求めるのは甘えではないのか?公費の無駄ではないのか?医療資源の無駄ではないのか?(これ書いてて泣いてます)。

 一方で、自殺企図したことは事実。ADHDの二次障害の鬱による希死念慮は実際死に至りかねない症状なのだから、治療に値するだろう。ADHDの軽い重い関係なく、自分が辛いと思うならどうしたって辛いし、甘えや努力不足でどうしても補えないのがADHDなんだから、立派に?治療対象。。。。私はいつもこうやって二つの矛盾した自分への視点に引き裂かれるな。これはADHDとは関係ない、認知の癖なのだろうな。。。

 主治医も心理士も、薬物治療で今の困りごとは改善するだろうと、つまり治療対象だと言う。主治医からは次の診察までに薬を決めてくるよう言われている。

 「いいんだよ。辛いんだから周りを頼っていいんだよ」と自分に言ってみる。

おまけ:単なる興味で心理士さんに聞いてみた

ねま)この低い得点の部分って、訓練とか療育とかで上げていくことは可能か?
心理士さん)子どもの場合、低く出た項目は、訓練や療育で上げることはできるといえばできる。なので、早期に診断を受けて療育を受けている子は成長につれて特性が目立たくなる場合もある。ただし、基本的な脳の構造は変わらないので限界がある。なので環境調整、生活の工夫、得意な部分を伸ばす、ということも重要になってくる。成人の場合は訓練で伸びるということはなく、むしろ加齢で下がるものなので、環境調整と生活上の工夫に注力すべき。

ねま)移民や日本で生まれ育った移民二世なんかは日本語が習得できていなかったり「セミリンガル」「ダブルリミテッド」の状態になっていて、言語能力を計るのはできないと思うのだが?
心理士さん)移民や二世、それから外国で育ったいわゆる帰国子女は「言語処理」が低く出る場合が多い。それはそもそももちろん日本語習得の問題があるのと、文化的ギャップの問題、学校適応の問題などが反映される。検査をすればどうしても数値として出てしまうが、解釈の際に、日本語習得の問題由来か、文化的差異由来かなどを検討して報告する。

ねま)カウンセリングの心理士さんとは違う心理士が検査を担当することには意図があると思うが、検査者と非検査者の関係によって検査結果は変わるのか?
心理士さん)検査者と被検査者の関係、つまり親密さ、性差などで検査結果が変わる場合はある。普段カウンセリングを行っている被検査者の場合、検査者は担当心理士でないほうが良い。特に子どもの場合だが検査中に「甘え」のようなものが出て得点が低くなる傾向がある。ある程度の緊張感を保つため、カウンセリングと検査は別の心理士がやることが多い。ただ、緊張感と言っても、検査者が男性で被検査者が思春期の女子の場合は緊張が多く出てしまうこともあるので、その辺は考慮される。年齢差はあまりないような。。。

 

以上、30分の心理面接扱いで自費3,000円なり。

(安いよね、、、心理士さんて非常勤が多いけど食べていけてるの。。。かかった教育費、ちゃんと回収できてるの。。。)